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心に残った言葉 | コメント |
香山リカ+福田和也 『「愛国」問答』 これは「ぷちナショナリズム」なのか 中公新書ラクレ87 \720 218ページ 2003.5.1発行 |
香山リカ(精神科医で反ナショナリズム)と、福田和也(「右」派の文芸評論家)という組み合わせはなかなか〜 でも、これもまたアマゾンのレビューなどでは袋だたきに近いほど叩かれている。その様はほとんど逆上というか、よっぽど言われたくない部分を突かれたんだなぁ、と思ってしまうほど。 詰めが甘いところはあるけど、そんなに的はずれじゃないと思うのだけど。どちらの主張も。ある意味、香山も福田もロマンティスト。理念とか理想とかを信じているというか、理念の力とか理性とかを信じようとしている。だからこそ、理想を顧みない新保守とか新資本主義とかがイヤなんじゃないかしら。私もどうしても新保守という思想には付いていけないものを感じてしまう。現実を見るという名目でもって強い者(いわゆる勝ち組)にすり寄ってるだけじゃないかと思ってしまう…いや、理論書とかは読んでないから、単なるそれとも、これもまた“負け犬の遠吠え”なのかしらね。 ・「現実を直視せよ。日本のナショナリズム化は、あらゆる意味でもう止めることができないのだ。日本の国や人を守るためには、それしか道はないのだ」という声も聞こえてきそうだ。 しかし、それでも私はもう一度、言いたい。現実は宗だとしても、私たちは現実には現実をもってしか対処することができないのだろうか。現実に対して、多少、自分たちの利益を損ねることはあっても、理念や理想で未来を開く道は、私たちにはもう残されていないのだろうか。(香山) ・現実が、それほど大切か。世界には人生には、現実よりもっと大切なものがあるのではないか。そして、それがなければいくら豊かになっても強くなっても、私たちの胸には一抹の「虚しさ」が残るのではないだろうか。(香山) ・昔からわかりやすい回答を求めている層がいるわけなんです。(中略)僕は憲法を改正したほうがいいと思うけれど、それは答えではありえないわけです。いくつもの手段の中のひとつなのです。でも、それを声高にいう人たちは、憲法改正を目的だと思っている。憲法さえ変えれば、日本はパッとすると思っている人たちがいっぱいいる。(福田) |
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荷宮和子 『若者はなぜ怒らなくなったのか』 ――団塊と団塊ジュニアの溝―― 中公新書ラクレ \740 248ページ 2003.7.10発行 |
主題は世代論という体裁。で、このシリーズには多いんだけど、けっこう断定口調。そのせいもあるのでしょうね。まー叩かれてること。確かに叩かれてる当の世代は気分悪いでしょう(特に男性は)。でも、私はけっこう楽しんで読みましたね。だって筆者はちゃんと「怒って」るもの。そして、共感する部分も多いのですよね。 少なくとも相手を馬鹿にしてない、悪口三昧言ってても筆者の実感がベースになってるから、ある意味本気が伝わってくる。まぁそもそも、これだけ多様化してきた個人を世代でくくってしまう事自体にムリがある訳なのだけど。そう言ってしまうとね。論自体が成り立たないから。(アマゾンの批評とか読むと面白いですよ。激昂してる方多くて) ああ、しかし時代は移るのですね。昔「君と世界の戦いでは世界に荷担せよ」(うろ覚え〜)と言ってたのだけれど…今や「世界」はへー「べっつにー」で片づけられる他人事。あらかじめ用意されて“そこにある”ものでしかなくなったのねぇ。ああ、今昔の感が。←年寄りの繰り言(^_^;) ・自身の過去について語る他者の言葉に対して何の感慨も持たないということは、すなわち、他者の「努力=つら苦しい経験」についてナンの感慨も持たない、ということなのである。 ・私は何も、「昔はよかった」、と言いたいのではない。女である私にとって、「昔より今のほうがずっといい」、そう言いたくなる場面は数え切れないほどあるからだ。 が、「昔より今のほうがずっといい」、そう言いたくなる場面は数え切れないほどある、にもかかわらず、「今の世の中は好きになれない」、そう言い切れてしまうのも、また事実なのである。 ・「『決まっちゃったことはしようがない』っていう考え方はおかしいんじゃないの!?もうむきまっちゃってようが、まだ決まって無かろうが、そういうことには関係なく、『本当に良い結果をもたらすためにはどうすべきなのか』を考えることこそ大事なんじゃないの!?」 ・「理不尽を我慢して、怒るべき時にも怒らない」という振る舞いは、「妙な前例を作ること」に等しい振る舞いであり、「妙な前例」を作られてしまっては、「迷惑」する人間がたくさん出てくる。ゆえに「理不尽を我慢して、怒るべき時にも怒らない」といった振る舞いをしてはいけないのだ。 |
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由紀章一 『団塊の世代とは何だったのか』 洋泉社新書 \740 237ページ 2003.10.20発行 |
なぜか、この本は叩かれてないのですよね。確かに激烈な主張はしてない。自分を反省しようと言ってるわけだから、読む方の抵抗も少なくて済むでしょうね。素直な60−70年代の青春期。人生の記録という感じで。 …ちっと勘ぐってみれば、同じようなことを言っても女性が言うと猛反発を受けるという図式を感じないでもない、のだけどね。 『課長島耕作』に関する考察が光ってます。いじましいという批評はぴったり。“社会的立場は確保したエリートでぇ〜 でも少年の心を忘れてなくてぇ〜 女性を尊重するけど、女性が勝手に寄ってきて勝手に身をひいてくれるからぁ〜”ってやつ? (; ̄ー ̄) ・共感にもせよ反発にもせよ、彼らの内面への思いやりをいささかも持つことができない、あるいは持つ必要すら感じられないなら、世代論は俗流心理学の決めつけ以上にはならないのである。 ・世界の否定。世界への異議申し立てができるほどの自我は、何かに支えられている必要がある。より正確に言うと、支えられているのだと思いこむ必要がある。その思いこみが、大部分、消えてしまったのだ。 ・自分は自分であるという理由で他人から認められようというのは、凡人にはあまりの高望みというべきだろう。 |
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| なぜ三冊まとめてなのかというと、問題意識は共通するような気がするのですね。 多分…己を知れということ。自分を主張することにかまけてばかりいないで、次の世代は見ているよということ(^_^;) |
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昨年の記録は、こちらです。
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