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心に残った言葉 コメント
  05.3.21


勝谷誠彦

『電脳血風録』

日経BP出版センター \1500 259ページ
2004.8.30発行

「3年前、私はアナログ人間だった。いま、私はデジタル猿である」という帯の惹句に惹かされました〜 なんだかおもしろそうな匂いがする。そして、私の勘は大当たり〜どのくらい当たったかというと、早速勝谷氏の次作『イラク生残記』を読み出したことでも明らかでしょう。
数年前まで、ワープロ以外のIT機器とはご縁のなかったアナログ人間だったはずが、毎日「さるさる日記」で日記を書くはヤフー!BBと抗争するはデジカメを次々と購入しまくるはパソコンを自作するはイバクダッドのホテル屋上から己の危機を日本に発信するは…うーん確かに進化してます。猿なんて、とんでもございません。 陰のサポーター担当編集者S嬢のつぶやきコーナーが、また楽しい♪
・物心ついたころから生まれてきた時代を間違えたと思っていた。人に「こうだよ」とあたかも決まっていることでもあるかのように言われるのが大嫌いで、どうしてこんなに何事も動かしがたくなってきてから生を享けたのかと天を恨んだものである。
・こんなに素直に生きている私なのにとかく世間の方が摩擦を求めてくる。
S嬢に負けず劣らず吹きそうになりながら、ついそうですよね〜 と相づちを打ってしまう。すごい説得力です、センセ。この勢いで電脳の荒野を突っ走ってくださいませ〜 700mほど離れて付いてまいりますね〜
  05.3.21

勝谷誠彦

『イラク生残記』

講談社 ー1500 258ページ
2004.7.20発行

5月にイラクで殺されたジャーナリスト橋田氏と小川氏に捧げられた本。実際にイラクを歩いて戦場およびその周辺の記録でもありますね。そこにあるのは徹底して著者の見たイラク。思想や信条はどうあれ、そのリアルさは疑いようもない本物で、引き込まれてしまいました。
少なくとも真っ向から怒る、自分の気持ちをちゃんと見据えて、いいようにごまかしたりしない。はぐらかしたりもしない(はぐらかすというのは、結局のところ対等に相手してないということですからね)
表紙に使われているいわゆる「フセインの穴」私もやっぱりフセインが潜んだ隠れ家への入口とは思えないですよ。かりにも一国の大統領の隠れ家に相応しくないという以上に物理的に相応しくない。こんなところに隠れてたんじゃ、それこそ袋のネズミじゃないですか。戦争が続いていたイラクの人間がそんな馬鹿な選択をするかどうか。
・戒厳令下のバクダッドを千鳥足で歩くというのもなかなか豪勢なものだ。
ふと私は昂然とした気分になる。しかし、それはさきほどのように自警団が徘徊し、米軍が銃座を築いているいわば外人租界の中での内弁慶にすぎないこともまた、私はかすかな痛みとともに知っているのであった。
  05.2.05

宮台真司

『亜細亜主義の顛末に学べ』
宮台真司の反グローバリゼーション・ガイダンス

実践社 204ページ \1800
2004.9.15発行


サブタイトル通り反グローバライゼーション・ガイダンスの書。基本的な部分で同意できないところも多々あるのですが、とにかく「国粋という自己満足」とか「近代には近代で抗おう 」という点に関しては、まったくだと頷いてしまったので。「条件付き承認は不承認と同じだ」ということをずいぶん前から指摘してきた点でも。(だからこそ「唯一無二のこの人」というパターンにはまるんですけどね〜こそこそっ) ただ、あまりに賢い人の常として、判断力や理性を信じすぎてるような気がする。或いは、“敢えて信じようとしている”のかもしれないけど。人間は合理的な判断や損得だけで動くもんじゃないし、むしろ損と分かっている道を敢えて選ぶ事さえあるから怖いんですね。
・「社会の恩恵を被りながらタダノリするのは許されない」と言っても、それは「社会に関わることは実りが多い」という暗黙の前提があってこそ、意味がある言葉。「社会なんてどうでもいい、ただ死ねないから生きているだけ」と思う連中にとっては、「利用できるものは何でも利用してトンヅラするぞ、何が悪い」という話のほうがリアルです。
・一部のひきこもりや、一部のネット自殺者や、「脱社会的な」犯罪者たちは、「社会を生きようと思っているのに、社会の中に居場所が無くて苦しんでいる」のとは違います。「社会に実りがないと既に見切ったので社会を生きようと思っておらず、社会の外に居場所がなくて困っている」のです。そして、宗教は、そのどちらにも居場所を提供する機能があります。
背後にあるのは「自分は必要とされていない」「自分は入れ替え可能だ」という感覚です。いくら「個人はかけがえのない存在だ」なんて言っても、所詮はおためごかしのキレイごと。実際には「俺じゃなくてもいい「私じゃなくてもいい」のは初めからお見通しです。
・条件付き承認は不承認と同じだという話です。「おまえは成績がいいから、いい子だよ」→「俺じゃなくたって、成績が良けりゃ誰でもいいんだろう」という飯能です。過剰流動性の問題は、結局ここに至ると思います。
・アメリカン・グローバライゼーションに対する「屈折した思い」や「忸怩たる思い」が世界中に存在していたのです。「屈折」というのは、圧伏させられたわけじゃなく、自発的に豊かになろうとしてアメリカの掌上で踊るようになった自己嫌悪があるからです。
・「正当性」と書く場合は「内容的に正しいこと」ですが、「正統性」と書く場合は「自発的服従の契機が存在すること」です。正当性は正統性の一部を構成します。つまり、内容的に正しいから自発的に服従する場合もあるが、内容的に正しくなくても、例えば妥当な手続きを経ているというので自発的に服従する場合もあるということです。
結果的に同じ事をするにしても、人々がレジームに反発を抱かないようにするためには、自発的に服従しうる契機を調達することが肝腎です。ものすごく良いことをする場合にすら、そうです。
   05.1.30

鴻上尚史

『言葉はいつも思いに足りない』

扶桑社 263ページ \1134
2004.3.20発行

「ドン・キホーテのピアス」として、このエッセイの連載が始まったのって94年なんですね。連載開始から10年目、単行本も9巻目。うーん、すごい。描き続けるのもすごいけど、読み続けさせているのもすごい。 今回タイトルだけで既に「参りました!」です。本当に言葉って… 人は、既に言葉でしか思いは伝えられないのに、あまりに力不足。もっともっと力を持った言葉が欲しい。というか、言葉を使いこなす力が欲しい。言霊とまではいかなくても。そうか、某K首相に腹が立つ理由の一端が分かりましたよ。問いをきちんと受けずにはぐらかすとかまともに取り合わないとか、あまりに言葉をないがしろにしているからなんだ。道理で文章系のお仲間に拒絶反応示す人が多いはずだ。一生懸命ぴったりの言葉を探してるつーのに、言葉の無力さ加減をああまで堂々とさらされたらイヤにもなるわ。
・「癒される」という言い方が嫌なら、「もう少し生きていようと思う」キッカケです。あなたは何で「もう少し生きてみよう」と思いますか?そういうものと出会いたくて、僕は今日も稽古場に行きます。
・人間を管理しようと思えば、その人間の思想ではなく、“時間”管理するのが効果的だと知っている人は、賢い人です。頭の中まで管理することは不可能に近いですが、時間の管理は可能です。時間を管理するとは、本人から「名付けられない時間」をなくすということです。簡単に言えば、「何をしてもいいボーッとする時間」をなくすということです。徹底して「この時間は何をする時間」と明確にしていくことを意味します。

昨年の記録は、こちらです。

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