著者名
タイトル 出版社 値段 ページ数
心に残った言葉 コメント
  06.3.12


内田樹

『知に働けば蔵が建つ』

文藝春秋 \1600 
307ページ
2005.11.25発行


『死と身体』以来、内田樹(たつる)さんに傾倒してますんで。頷ける部分が多すぎて、考えがまとまらないの
だけど、きちんとまとめてから、なんて言ってたら、いつまで経っても更新なんてできないので、とりあえずア
ップ。『知に働けば蔵が建つ』だけでも、とりあえずアップ。お奨めです。某氏曰く「すごくオタク好みの文章
」です(^^ もちろん全てに賛成という訳ではないのですが、真っ当に対応してくれているという満足感は得られます。ええ、はぐらかされることほど腹の立つことはないものね。わざと無視されるのと同じくらいイヤかも。だから私は某首相がキライなんです。その主張以前に、その対人関係の姿勢そのものがイヤなんです。この人の言動を見聞きすると「歯牙にもかけない」という表現をすごく実感する… ああ、私は、この国のトップにとって物の数にも入ってないんだなとさすがに悲しいから。
・未来の私について「……できない」と断言することは、私自身の中の他者性に対する陵辱でなくてなんであろ
う。私自身がこれからどうなるかわからないという私自身の未知性への経緯を持たぬものが他者の未知性に対し
て節度のあるアプローチができるものだろうか?
・愛において、私が探し求め、それに触れたいと切望する当の対象に、私はすでに結びつけられている。何かに
「手が届かない」と感じることができるのは、「手が届かない」ものを持つという仕方で、すでにそれに触れて
いるからである。
・その主張にどのような正当性があるのかを、聞く人に論証する気がないままに垂れ流されていることばは、何
を主張していようと、本質的には「呪文」である。 私はそのようなことばに耳を貸す習慣はない。
・「国益」についての判断は国民ひとりひとり違っているし、違っていてよい。しかし、その上でなお、「私の国益判断は他のものよりも蓋然性が高い」ということを情理を尽くして国民に説明することが政治家や官僚のたいせつな仕事ではないのか。
・「私だけの固有の、共有されえぬ思念や感覚」と思いなしていたものが、実は「みんなそうなんだよ」というこ とがわかるときに、人間はおのれの唯一無二性とおのれの普遍性を「同時」に経験する。 私たちがコミュニケーションのために膨大なりソースを投じるのは、畢竟その経験を求めてのことなのである。
  06.3.12


内田樹

『街場のアメリカ論』


NTT出版 \1600 
267ページ
20005.1031発行

「ねじれている日米関係」についてその根本から検証していこうとしているのですが、なんか魅力的なナルシストに振り回されている「従者」でしかない日本という図が浮かびます。「従者である」と言うことは、つまりは自分の在り方に責任を持てないということですよね。決定権は主人にあって自分にはないのだから。……我が身に跳ね返ってきますね。
・「原因」ということばを人が使うのは「原因」がよくわからないときだけなんですから。
・私たちが「伝統」とか「固有の」とか思っているもののかなりの部分は伝統的でもオリジナルでもなく、ちょ
っと前にどこかから入ってきたものです。
・私たちが「伝統」とか「固有の」とか思っているもののかなりの部分は伝統的でもオリジナルでもなく、ちょ
っと前にどこかから入ってきたものです。その歴史的経緯を忘れてか知らないふりをしてか、社会集団の純血性とか文化のオリジナリティとかを言い立てるのは、あまり品のいいことではないように思います。
・「欧米で行われている制度であるのだから、日本に導入するのが当然である」というのは日本社会の各所で響
く地にされる決めの台詞です(もう聞き飽きましたけど)。 なるほど。でも、ほんとうにそれは日本にただちに導入しなければならないほどうまくいっている制度なんでしょうか。(中略) なるほど。平たく言えば、裁判官がバカになったので、市民的常識で補正しようということですね。 でも、裁判官だけが選択的にバカになり、一般市民はその弊を免れているというご判断はどなたがされたんでしょう。(中略)他にもっとなんとかしなければならない制度(公安委員会や教育委員会への市民参加とか)があるのに、それは放置しておいて、陪審員制度を優先的に導入することの理由が私には正直言ってよくわからないんです。

昨年の記録は、こちらです。

メニューページへ

このページの壁紙、アイコンは、「フリー素材集35x35」様から、いただきました。

inserted by FC2 system