| 欠片 2002.3 |
| 心身共に色々あったので、やすらぎを求めてネット上を彷徨っておりました。 本も読みました。一般出版、同人誌の別無く。 そうして、思ったことや感じたことのうち、半端な部分―― 「どのページにも、ちょっとなー」という欠片を此処にまとめていこうと思います。 当然整理もできてない部分です。そもそも整理整頓は苦手だし… なので、扉を付けました。 |
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| どんな煩悩なんだ?とお迷いの方は以下の駄文を参考にどうぞ。 2001年3月分の「欠片」はページを改めました。 2001年5月分の欠片は、こちらです。 2001年6月分の『欠片』は、こちらです。 2001年8月分の『欠片』は、こちらです。 2001年9・10月分の『欠片』は、こちらです。 2001年11月分の『欠片』は、こちらです。 2001年12月分の『欠片』は、こちらです。 2002年1月分の『欠片』は、こちらです。 |
| ☆ 「自己と他者」あるいは、「自分を発見する」ということ 2002.3.23 |
| ちょっと…かなり…与太話。SSのMy設定。 語ってますけど(^_^;)、メモ代わりだと思って、大目に見てね。 私にとっての副はコレ↓なのよね。 >「塔の中に閉じ込められた王子さま」 いや、もーちょい悲劇的かな。三島由紀夫の場合は、まだ彼を閉じこめたのは祖母や母という女達の“愛”だったけど、副の場合は、“愛”なんてなかったんだから。 けれどそこには“執着”だけはあって――その因は、多分親の、我が子への嫉妬だったりする。親が子どもに嫉妬するのなんてさほど珍しい事じゃないけど。たいていの子どもは、そこそこの時期に「嫉妬するほどのもんでもない」ってことを親に示すんだけど。 でも、たまたま出来が良すぎたり、臆病すぎたり(この親に見捨てられたら、自分のいるところはなくなってしまう)、 律儀すぎたり(親の期待に応えるのが自分の義務だ)、諸々の理由によって、ずっと親に嫉妬され続けたら――あ、もちろん親の側の未成熟ってのは、ありますね。 我が子を愛しい者とか保護すべき対象とかじゃなくて、自分を脅かす者=自分が享受すべき“愛”を横取りしていく者として認識してしまうんだから。 自分が閉じこめられてることには気づいていても、もはや外の世界があるとか、自分に好意を向ける者があるとか考えもしないんだろうな。 この場合、頭がいい悪いの問題じゃないよね。むしろ、なまじ頭がいいだけに、「親に従うのが子どもの義務だ」とか「こうされる以上は、自分にされるだけの理由があるのだろう」とか考えて抜け出せなくなりそうだ。 外見では、しっかり適応して、出来の良い息子なんだもの。彼の空虚に、誰も気づかない。もちろん、彼自身も気づかない。 自分が傷ついてるってことにも、自分が出ていきたいと、ここではないどこかへ行きたいと思っていることも。 そんなあほなと言われそうだけど、回答を見つけられない者には、目の前に突きつけられるまで気が付かないものなのよね。 多分、副も自力では抜け出せなかった。“世界”はそこだけじゃないと突きつけてくれるお頭が現れるまでは。 泥だらけになることを恐れない、というか――気にも留めないお頭の存在そのものによって、彼は気が付く。 傷つくことや見捨てられることを恐れる己の卑小さに。そうして、自分で塔の外へ出ていくの。 もはや塔は壊す値打ちもないそんなものに成り果てて、後に残される――うーんうーん、親の立場から見たら、「こらぁー」かなぁ。 Dreamだわね(^_^;) |
| ☆ 奇跡を起こすチカラ 2002.3.5 |
| 「鳩よ!」今月号の田口ランディ、やっぱりうまいなぁと思った。 で、かなり引用ばっかりになっちゃうんだけど、 代弁してくれてるみたいだと思ったので。こそっと。 (引用部分は文字の色を変えています) 「奇跡はあると思いますか?」との問いに 「たぶん踵の下に踏んでいます」と答える。 そして、奇跡を起こす人は、あらゆるものとコミュニケーションが可能だと確信しているという。 スプーンともガン細胞とも雲や雨とも。 奇跡はコミュニケーション能力によって引き起こされるように思うともいう。 「奇跡を起こすもの、それは自分以外の他の存在と交流する能力ではないか」 「『奇蹟』とは、何かに自分が強く働きかけた結果として生じるもの」 「人は自分が働きかけることによって、何かと呼応する。 コミュニケーションとはそのように感応しあう力のような気がする。 決して一方通行ではなく、自分の働きかけが、対象物とシンクロしたときに何かが起こるのだ」 「『奇跡』は起こるものではない。私が起こすもの。 私が何かを望み、切望し、世界に働きかけることによって起こすもの」 ・私の言葉が誰かに届く。返事なんかないけど、なんとなく遠くからかすかに「木霊(エコー)」のような響きが戻ってくることがある。 空の果てから聞こえてくるそら耳のような「木霊」によって私は私が存在することを確認している。 ・呼びかけた者にだけ、世界は応える。呼びかけない限り、世界は沈黙している。 私から呼びかけないかぎり、奇跡は永遠に起こらない。 私もまた田口ランディの言葉を受け取った。 受け取って、働きかけてみた。誰かのためでなく、自分のために。 そうしたら、答えてくれる人がいた。 有明で出会った人たち。 ネット上で出会った人たち。 実際に出会ったかどうかは、たぶんそれほど問題じゃないのだ。 地理的な距離や、 私の言葉に耳を傾けてくれるのなら。 この感覚は多分、ネット上で呼びかけたことがある人やホームページを開いている人になら、何の説明もなく理解されるのではないか。 私はこんなことを思ってる―― 私の言葉を聞いてほしい――― 私の言葉に共感したら応えてほしい――― 雑誌とかテレビとかで、時にそれは冷笑される。 自己満足だけの世界、身内だけの馴れ合いと。 けれど、それなら雑誌やテレビは開かれた自己主張とやらなんだろうか。 全部とは言わないまでも、ほとんどは、受け入れてくれる相手に向かっての表現じゃないのか。 そのくせ、自分は“一般大衆”とは違うと思っている。 雑誌とかテレビがよそよそしく感じられるようになったのは、そのせいではないだろうか。 「とにかく私はあなた達とは違うのよ、訳なんか無いけど違うのよ」と出られて、気分のいい人間はいないだろう。 発言することは、“特別な人”の特権ではなくなった。 誰であろうと、世界に働きかけていいのだ。 “ふつーの人”だろうと“タワゴト”だろうと、言いたいことを言う権利は誰にでもある。 自分以外の人にもある、ということさえ忘れなければ。 そして、言葉は使い方によっては武器になることを肝に銘じておけば。 ネットやパソコンは、新しいツールとなりうるかもしれない。 マイクロソフトに首根っこを押さえつけられないよう気を付けて、 政府や企業に個人情報筒抜けなんて事態にならないよう目を光らせておくならば。 それにしても、運命の皮肉を感じずにはいられない。 かって、アメリカのオタクは、自己表現のために、マックパソコンを創り出した。 それを換骨奪胎し、ビジネスのためのツールとして売り出したのは、マイクロソフトだが、 そのマイクロソフトのパソコンによって、こんなにも多くの人が自己表現を始めようとは…… これもまた、原点に返ったと言うのだろうか。 |
| こそっ、 シャンクスが大頭になったのって、奇跡を呼ぶからだと思うわ。 彼は、きっちりコミュニケートするもん。 働きかけるもん。身分、性別、年齢に関係なく。 拒絶されることを恐れないもんね。 |