2005.1〜 |
心身共に色々あったので、やすらぎを求めてネット上を彷徨っておりました。 本も読みました。一般出版、同人誌の別無く。 そうして、思ったことや感じたことのうち、半端な部分―― 「どのページにも、ちょっとなー」という欠片を此処にまとめていこうと思います。 当然整理もできてない部分です。そもそも整理整頓は苦手だし… なので、扉を付けました。 |
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どんな煩悩なんだ?とお迷いの方は以下の駄文を参考にどうぞ。 2001年3月分の「欠片」はページを改めました。 2001年5月分の欠片 2001年6月分の『欠片』 2001年8月分の『欠片』 2001年9・10月分の『欠片』 2001年11月分の『欠片』 2001年12月分の『欠片』 2002年1月分の『欠片』 2002年2〜3月分の『欠片』 2002年4月分の『欠片』 2002年5〜6月分の『欠片』 2002年7〜8月分の『欠片』 2002年11〜12月分の『欠片』 2003年1〜5月分の『欠片』 2003年6月〜11月分の『欠片』 2003年12月〜2004年11月分の『欠片』 2005年の『欠片』 2007年の『欠片』 |
★ 井上雄彦 最後の漫画展 2008.7.7 |
(部分的なネタバレもありますが、7月6日で展覧会終わったので) 6月末、あれやこれやぶっ千切って(4月の段階では行けないだろうと思ってた)上京してきました。 ええ、この休みをもぎ取るために前後死にそうに忙しかったです。飛行機の中もJRの中も、ずっと爆睡。降り損ねたり乗り間違えたり、色々やらかしました(^^; それでも、上野の森美術館には無事に着けて「井上雄彦 最後の漫画展見られました。ほんと時間指定チケット先に買っておいて良かったです。昼前に既に当日券売り切れでしたもの。ま、分かる気もしますが。これは、凄いとしか言いようが無いもの。好き嫌いを越えて説得力がある―― 「この時この場限りの空間マンガ」とい惹句が付いてましたが、確かに、この場に来なければならないものですね。「100点以上『全館』描き下ろし」の肉筆画って……モチーフは『バガボンド』、実は完結してから読もうと思って全然読んでいません。 私は絵に関しては全くの素人で門外漢ですが、それでも最適な場所に最適な線が引かれてると思いましたよ。描き込み過ぎず描き足らぬところなく、某所の表現を借りれば、線が「行きたいところを、描き手が見通し、そこへ向けて線を導いていく」というか――― コントロールしてるとか最適な線が見えているとかじゃないと思うのですよ。共に動いているという、だから、見ていて気持ちいいんだと思います。 会場入り口に大きく掲げられているのは、 「あなたが最後に帰る場所は、どこですか。」 ただただ美しい母と子の図は、ただ美しい絵というだけでなく、強烈に何かを訴えてくる。 何をか? 人によって受け止め方は違うでしょうけど、私はつながり、つないでいく意志、受け継がれていく思いだと取りました。 一見、画面の端正さを壊しかねないかっての弟子、城太郎を描くことによって、武蔵もまた伝える者、後から来る者につないでいく者なのだと分からせてくれる。親と子、師と弟子。 実は、「ポーの一族」を思い出してしまいました。 メリーベルが消滅したとき、言われた言葉、「生まれる前に帰った」そう、人は結局生まれる前に帰る。誰も知らないそこへ。 けれど、今生でなしたこと、なさなかったことは残る。それが、次の世代に伝えられていくなら、そこには意味があるだろう。もしかしたら、伝えられずとも生きているだけでも意味はあるのかも知れないけど、そこまでは、まだ断言できない。 この件に関しては、もう少し考えてみたいです。佐倉統の文化的ミームとも絡めて。 久しぶりに「BRUTUS (ブルータス) 2008年 7/1号 」買っちゃいましたよ。 BRUTUS (ブルータス)→U田樹というつながりがあるのですが、その某U教授のブログの6/30と7/1のエントリーで著作権絡みの井上雄彦氏との会話がアップされていましてね。中国の海賊版にも言及して、その中の最後の方で「井上さんの本にはそれくらい強い教化的な力がある。」と述べられたのですよ。 それに対して早速、常連さんのコメントがありましてね。 「なにを血迷ったことをいってるの? マンガに「教化力」なんか必要ありません。マンガはとにかく楽しく面白ければいいのです。」 まあ、意見は自由です。何を思うかは人それぞれです。でもねえ、同人誌見て人生変わった私にとって、どちらの意見が得心できるかというとねえ。 確かに漫画そのものに現実を変える力は無いかもしれないけど、漫画からパワーをもらえることはある。そして、今日を生き延びた人間が現実を変えようと動くことだって有りですからね。それもまた長い目で見れば「教化力」「現実を変革する力」と言えるんじゃないかと。 |
帰り、道からちょっと離れたフェンスの向こうに猫さん一家発見!3匹も!黒猫もいたーっ♪さすがにね、ロープ張った植え込みの中に入り込むわけにはいかない^^; |
★ お江戸にて 猫の町と夢の島再訪 2008.1.4 | |||
今日の東京は、朝方の冷え込みはきつかったらしいけど、お日様がよく照っててぽかぽかとまさしく小春日和。こんな日はと山手線、新宿乗り換えでなく新大久保まで行って、ほてほてと歩いてたら、茶猫が前を横切ったー、振り返る真ん丸お目々の可愛い事♪猫の迷惑省みず付いてったら、きゃー猫が猫がいっぱい〜塀の上にも自転車の陰にも枝の上にもベランダの手すりの上にも!大漁〜てんこ盛り〜大久保界隈って猫の宝庫だわ〜狂喜乱舞って、こういう時に使う言葉よね。夢中で撮ってたら待ち合わせ時間がー。わー | |||
のんびりランチ食べてお茶飲んでお喋りして買い物して。幸せ♪夕方にはお宿に帰ったのに気がついたら朝でした。いやん、何時間寝たのよ、私。けど、思わぬ特典が。実は昨日は写真写してても、ちょっと離れたところのだとボヤけるというか上手くピントが合わなくて。それが今日同じ花を写そうとしたら、くっきりはっきり。うわぁ(^^;疲れてたんだ、私の目… 今日は夢の島へ。ン年ぶりか。 前回は一人で行ったけど、今回は付き合ってくれる人がいるもんね。以前はめちゃ遠いと思った植物園までの道のりも、あっという間。というか途中の猫さん写すのに忙しくて、なかなか園まで辿りつかなかったんだけど(^^;橋のたもとにいた猫さんも第5福竜丸に行く途中の階段にいた猫さんも、丸々として、人懐こくて。どこにも猫おばさんはいるものね。 しかし、しっぽ側から写すとまるきり三毛模様のツチノコ(^^; ミーアキャットみたいに直立するし。なんて器用な猫なんだ(笑) あ、鳥ファンの方、ご安心を。鳩にはあっさり逃げられてましたよ。で、猫ファンの方もご安心を。ちゃんとカリカリをたらふくいただいてましたよ。 |
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東京都立第五福竜丸展示館は、昭和29年に起きた第五福竜丸事件(ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により被曝- 関節被爆)を忘れないようにと昭和51年開館されました。本当に小さい展示館で木造のマグロ漁船「第五福竜丸」の本体とその付属品や関係資料を展示してるだけという地味なものです。昭和の香りがいっぱいで、重くて暗いです。でも、レトロだなんだと今もてはやされてる昭和の裏には、この暗さが貼りついていたことは間違いないこと。『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代も昭和33年である以上はそのはず。第五福竜丸事件をきっかけに『ゴジラ』シリーズ第1作が制作公開され、大ヒットしたのは、1954年なのですからね。 しかし、この施設が都立というのは、ちょっと驚き。トチジ、気がついてないのか。そーっとしとくが吉。 |
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東京都立第五福竜丸展示館の裏で見つけた葉だけの植物。葉っぱの途中からきれいなピンクに変色?枯れた色ではないですし、とググったら分かりました。 メイドンズブラッシュ(Maiden's Blush) 「ハツカンセツ(初冠雪)」「ハツユキツユクサ(初雪露草)」「コチョウノマイ(胡蝶の舞)」等とも呼ばれます。 うちのご近所でも見つけたので、並べてアップ。 詳しくは「草木図譜」様へ http://aquiya.skr.jp/ http://aquiya.skr.jp/zukan/Tradescantia_fluminensis.html |
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夢の島はユーカリの木がいっぱい。 すくすくにょきにょきと育っています。 でも、異質な木が揃っていると ちょっと異様な感じが。 日野啓三さんはこの異様さを感じたのでしょうね。 日野啓三さんと夢の島については、こちらのサイトが詳しいです。 日野さんとコミケは、夢の島を介してつながっていたのですよ。 「おんがく濫土」 http://river-ray.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_27df.html |
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夢の島植物園に入ってすぐ、竜舌蘭「青の竜舌蘭」がそびえています。ええ、そびえてるんです。百年に一度花を咲かせると言うのでCentury Plantsという英名を持っていますが、日本だと50年もすれば花が咲くそうです。でも、開花後は枯れてしまうと言うのはほんと。この竜舌蘭は2007年の7月、11年ぶりに咲いたそうで、残念ながらこの後は枯れていくのですね。 お仲間のテキラリュウゼツランからはテキーラが作られます♪ |
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