2005年
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心に残った言葉 コメント


2005.9.18

奥野修司
「ナツコ 沖縄密貿易の女王」
文芸春秋 ¥2,250  405ページ
2005.4.10発行

最近の興味が南の島へ行ってるので、タイトルだけから手に取りました。ええ、はなはだ不謹慎な動機なんですが、すっごく読みごたえがあったです。
サブタイトルを見ると、まるで闇社会のレポートみたいですが、これは「ふつうの人の記録」だと思いました。確かにナツコは“女傑”だし、その周りの人たちも“今”の目で見ればまるでドラマのような人生を生きている。けれど、当時はそうするしかなかったからそうした――
戦後の沖縄が(少なくとも数年間)本土から見放され、米国の統治も行き届かない状況にあり、かつ沖縄諸島の間で物資を動かすことすら禁じられていたということを初めて知ったです。「鉄の暴風」によって工場も田畑も何もない島でそのようなことをすればどうなるかなど、私のような素人にも容易に想像できるのに。
そんな時代に、生まれた必要悪でしかなかったのでしょう、密貿易も。必要なのに無い物を有り余っているところから運んでくる行為に罪悪感などあるはずもなく、むしろ誇りを持って“密貿易”に従事したのでしょう。著者は、この戦後の数年間こそ「沖縄世(ウチナーユ)」ではないかと言う。
これもまた知っておくべき史実だと思います。後書き中に琉球大学の保坂廣志享受の言葉が記されている。「敗者は記録に残らない。記録に残るのは常に勝者だけ。だから歴史は勝者に都合のいい歴史になりやすい。夏子を知っている人もあと十年もすればこの世からいなくなる。いま記録されなかったら、夏子は沖縄の歴史から抹殺されてしまう。歴史は語られ、そして記録されてこそ存在するんですよ」
夏子は密貿易で莫大な富を得たけれど、その金はほとんど全て“人”に注ぎ込み、けれど夏子の死後、そのほとんどは回収不能だったという。最後‘母’として逝った姿も含め、とても真っ当に生き、真っ当に死んでいった彼女の姿は人間てのも捨てたもんじゃないと思わせてくれます。そして、そんな彼女を十年以上追った作者の姿勢も。良い本でした。
・「夏子は気が強いといわれますが、そうじゃなくて、ものの考え方に義侠心がありました。他人のために何かしてやりたくても自分が弱ければ何もできない。そのためには自分が強くなるしかない、というのが夏子の考え方でした」中本氏の証言(逮捕された夏子を取り調べた警官)
 
2005.4.10


内田樹

『死と身体ーーコミュニケーションの磁場』

医学書院 242ページ \2100
2004.10.1発行


この本が医学書院の「シリーズ ケアをひらく」の中の一冊だというのがなんともいえません。
人間に複雑さを生み出すものは何なのか。それは「身体」であるという主張に考えてしまいました。著者は武道家でもあって、実際に体を動かしている人です。体を動かすの嫌いな私としては色々反省させられました。多分、この中には私にとっての宿題がたんまりある気がするです。でも、何より面白いんですよ。ちょっと、かなり、萌えました。
・結果的にはどんな話だったのかとかストーリーはどうだったかということではなく、書き手の思考の身体と自分の身体がある時間だけど同調した、その思い出が深く残っていって、自分の中に滋養として入っていく。いつまでも忘れられない響きが残る。そういう文章がありますよね。
・先ほどメッセージをどういう文脈で読むべきなのかを指示するメッセージのことを「非言語的メッセージ」と言いましたけれど、交話的メッセージはかならずしも非言語的なものには限られません。要するに、「あなたのことばはわたしに届いた」ということが相手に送り返せれば、どんなことでもいいわけです。ことばでも身振りでも。でも人間と人間が結びつくためには、「あなたのことばはわたしに届いた」というメッセージ以上に重要なものはないのです。・つまり、「不愉快な隣人が登場して、わたしとしてはたいへん不愉快である。しかし、この不愉快な隣人を排除してしまったらわたしはもう人間ではない」と考えたわけです。ここがオルテガのえらいところだと思います。

2005.4.9


『凶鳥の黒影(まがとりの かげ)』

河出書房新社 302ページ \2400
2004.9.17発行


『虚無への供物』刊行40周年記念出版。中井英夫へ捧げるオマージュというフレーズから分かるように『虚無への供物』刊行40周年記念出版。 執筆者の顔ぶれを見ていけば、中井英夫の呪縛から誰も逃れ得てないのが分かる。
そして思いが受け継がれていく様も。世の中が変わっても人の心が変わっても中井英夫的なものを必要とする人間はいて、見つけるのだ。自分が求めているものを。三浦しおんのエッセイに端的に描き出されているように。それは‘要る’のだ。
三浦しおん「残酷な力に抗うために」
・中井英夫は晩年の日記に、「死んだら『ひと』の心の中へ行く」と書き記した。
私はいま、この言葉が真実であることを確信している。もちろん彼に一度も会ったことはなく、遺された彼の作品と、彼が光を当てた歌人たちの歌を知るのみだが、それでも私は実感しているのだ。
中井英夫は「その人々」のために闘い抜き、たしかにひとの心の中へたどり着いたのだ、と。
 2005.1.23

現代詩文庫175

『征矢泰子詩集』


思潮社 \1,223 158ページ
2003.12.28発行

卒論の時にお世話になった方は地域で詩の講座開いてらっしゃる方で、文芸同人誌も主宰してらっしゃいます。毎号送っていただいてます。秋の終わりにいただいた最新号で見つけました。「征矢泰子」という方が残した詩――
文庫の最後には1992年11月28日「鎮魂歌(レクイエム)はうたわない――Yに」を残しての自らの死であった。(征矢清作成による)という年譜が付いている……
12年前に、この地上からはいなくなった人。けれど、その人の想いは、言葉はとどまって、私を待っていてくれた、そんな気すらします。
ひらがなをメインに使って、ひらがなのイメージさえ味方に付けたような詩。平易な言い回しの中でおそろしくエロティックな詩。表現は多彩だけど、どれにもああ、征矢さんのと頷くような言葉の感覚があって、読んでると気持ちよくなってくる。
今回タイトルイメージにいただいたのは「さかなになるとき」なんですが、一番すごいと思ったのは「旅立つ夏」
生んで・育てて・捨てて・はじめて
きれいなひとりになった。
わたしの行く先はだれにも教えない。

普通の(と言ったら語弊があるかも知れないけど)夫も子どももいて華やかな美貌と詩才に恵まれてと周囲には見えていたのだろう女性の中に、これほどの虚無があったということ。ここまで全てを拒絶して逝ったという事―― 私はその善し悪しを言える立場にはなく、ただ圧倒される…… 気になったので、征矢さんの唯一の児童文学『とべ、ぼくのつばくろさんぼ』も読んでみました。メッセージとしては前向きなのだけど、やはりひりひりするような征矢さんがいました。前向きな言葉を連ねる事によって「生きろ」と必死に自分に言い聞かせているような… 

昨年の記録は、こちらです。

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