
日射しは眩しいほどに照りつける。 けれど波の上をわたる風は心地よく、適度な労働で疲労した体を眠りに誘う。 敵襲のおそれもなく、順調な航海日和が続いている。 赤髪海賊団御一同様の本日の業務は、帆を繕い、武器の手入れをすることだった。 「こんなところにいたのか」 目の前を大きな影がふさぐ。 「特別配給だ」その掌の中のモノが、ぽんとほうられる。 赤い形。甘い香り――― 「林檎か、珍しいな」 「ああ、保管が限界だそうでな、コック長の大盤振る舞いだ」 言われてみれば確かに林檎は熟し切っていた。 囓りつけば、歯茎に伝わる感触は柔らかく、果汁は蜜と化して滴るようだった。 「いい場所だな」そのまま副船長も座り込む。 肩に掛けていた帆布袋をおろし、中身を広げる場所を確保した。 ――その中には、レース編みの道具一式が入っている。 赤髪海賊団の副船長は、近頃これに熱中している―― 大きな手だった。さっきまで帆を繕っていた手が、器用に細い銀の針を操る。 「絹か?ずいぶん細い糸だな。ベールでも作るつもりなのか?」 揶揄したつもりだったのだが。 「ああ、こないだの戦利品の中に上物の絹地があったからな」 ベールが付いてりゃ、二、三割は高く売れるだろうから。 軽くいなされた。その間も、副船長の手は止まることはない。 (それって……、海賊の発想か?) ……この男の手は、常に動いていた。 帆を操るにせよ、林檎を配分するにせよ、忙しなくこそ無かったけれど、彼の手が一所に留まっていることは、まず無かった。 彼の手が止まるところ――それは、たった一つの場所―― 「いい場所だな。ここは」 「風が通って適度に暖かい。昼寝にはもってこいだ。お頭がいないのが不思議だな」 ぐさっと来る一刺し、に思えてしまうのは、考えすぎだろうか。 「サボっていたわけじゃねえぞ」 思わず、言い訳がましく口走ってしまう。 「俺の仕事はもう終わったんだからな。お頭を隠してるわけでもねえぞ」 後ろの一言は、文字通りの蛇足だった…… 「分かってる。さっき厨房の方でカッツェを見かけたからな」 あっさりと返されてしまった。 「おおかた厨房でコックの邪魔をしてるんだろう。傷んだ林檎を煮込むと言ってたから」 「カッツェね。いつになったらあの猫に名前を付けてやるんだ?」 「名前ならあるじゃないか?」 「カッツェってか。猫っていう名前の猫っつーのもなぁ」 シャンクスが拾ってきた子猫がカッツェと呼ばれるようになった原因は、副船長にあった。出航目前だというのに拾い猫をしてきて、おまけにそのまま連れていこうというシャンクスに、思わず「こんな小さなkatheを」と口走り、それがそのまま猫の名前になったのだ。 「よく分かったな。カッツェが《猫》だって」 海賊のほとんどは、文盲だ。まして北の言葉ではそれは、《猫》という一般名詞なのだと知ってるヤツなどいるわけがない。 あんたの持ってる本に載ってたんだよ。オレも、ちょっとくらいは字読めるから」 この時代、本は、貴重品だ。まして異国の言葉の辞書となれば。使い込まれた副船長のそれは、大学都市にでも持ち込めば、たいそうな値が付くだろう。 無造作にテーブルに置かれたそれを、めくらずにはいられなかった。 (……副船長が読めるものなら、自分も読めるようになりたかった) □□の知る限り、副船長がいれば、どんな異国に行こうと通訳要らずだった。 ――剣の腕も、最新の火器の扱いも、誰にも引けを取らない。 彼に太刀打ちできるのは、お頭だけだろうというのが、赤髪海賊団あげての声だった。 「何で、あんたみたいな男が海賊に……」 小さかったはずの呟きは思いの外大きく広がって、□□はあわてて口を押さえた。 ―――自己嫌悪で死にたくなる。ものすごく馬鹿なことを言ってしまった。 ――けれど、副船長は怒らなかった。ただ口元を歪めて苦笑しただけだった。 「あんた、ちゃんと学もあるし。家だっていい家なんだろ?故国にはあんたを引き留めるもんは無かったのかっていってんだよ」 □□は半分ヤケになって叫んだ。 頭も腕も、多分身分も。自分の欲しかったモノ全てを持っているようなこの男が、なぜそれら全てを打ち捨てて海に出たのか―― 「……故国には、俺を引きとめるものは何もないよ。 俺の求めるものは海の上にあったのさ。始めから、な」 彼の求めるところ――それは、たった一つの場所―― 「美味そうだなぁ」 いきなり影が落ち、伸びてきた手が□□が持ったままだった半囓りの林檎を奪っていった。 「ホントうめえや」と多分言ったのだろう。 なにやら喋りながら、がしがしと林檎を咀嚼する。 果汁で胸元が汚れるのも厭わず、立派な食べっぷりだった。 これが――、この船の船長。赤髪海賊団の大頭なのだから…… 「お頭。部下のもんを横取りするんじゃない」 心なしか、副船長の肩も落ちているようだ。 「大体あんた。さんざ厨房でつまみ食いしてきたんだろうが」 「ん?んなことしねえぞ、俺ぁ」 無造作に、シャツの裾で口を拭う。 「それじゃ、シナモンの匂いがぷんぷんするのは、どうしてだ?」 なんだか――じゃれ合いめいてきた。 「耳、砂糖が付いてるぞ」副船長の手がシャンクスの耳たぶに伸びる。 立ち去ろうかと腰を浮かしかけた□□より前に動いたものがいた。 背後からシャンクスの肩に飛び乗った猫が、器用に肩の上で立ち上がる。 少し前まで、不器用に爪を立ててはシャンクスに「痛え」と叫ばせていたのだが。 もうすっかりシャンクスの左肩になじんだらしい。重みすら感じさせずにそこにいる。 そう、まるで当然だという顔をして。 猫は、威嚇するように副船長に向かって鳴くと、すっとシャンクスの耳に近づいた。 そして、一心に耳たぶを吸い出したのだ。 (う、うわっ…) 「おい、くすぐってぇよ。カッツェ」 シャンクスは平然としていたが、それは…… シャンクスの色の薄い耳たぶは薄紅色に近い。それに猫の一段濃いサーモンピンクの下が重ねられ、ちょっと……すごく……目のやり場に困る情景だった。 恐る恐る振り返れば、案の定副船長のこめかみには(怒)のマークが…… 張り付いてなかった。 副船長は煙草など取り出し、ごく平然と目の前の情景を受け止めていた。 ドキマギしているのは、□□だけらしかった。 「痛いって。赤剥けになっちまうから、止めろよな」 シャンクスはマイペースだ。右手で猫の頭を抱き込み、小さく口づける。 「さっき、たらふくパイを食ったばかりだろうが。俺の耳なんか喰っても甘かねえぞ」 (あ、甘いかも…) 反射的に思ってしまった□□に罪はない。多分…… 「ミルク貰ってやっから」 あっさりと背を向け、シャンクスは厨房に向かって駆けていく。 当然のごとく猫もシャンクスの左肩にのったままだ。 「シャンクス、あんまり贅沢させるんじゃないぞ。ブタになる」 「分かってるよ」 「……何なんだよ、あれっ」 「落ち着け。猫相手に騒ぎ立てても仕方があるまい。それに…」 「それに、あれくらいのこと」 (あ、あれくらい?) 今度こそ固まった。 …あれくらい、ということは、あれ以上のことがあるわけか? 一人でジタバタしている□□を後目に、苦笑いとも余裕の笑いともとれる笑みを浮かべたまま、副船長はもう口を滑らさなかった。 この日以来、猫を見る赤髪海賊団の面々の視線に、おどろ模様が被さったのは―――― 是非もないだろう。 もちろん、当の猫とシャンクス本人は、何の痛痒も感じてはいない。 |
| 2001.2.11 |
☆ これもモトはローズ様です。という訳で、ローズ様のページにリンク貼りました。ローズ様の小説の、どこがどーなって、こーいう風になったのか、はて、さて。
☆ カッツェ嬢は、名付け親には何の敬意も払ってないようです。
では、どう思っているか、ちょっと、だいぶ怖いものがありますね。
☆ nari様が3000のキリ番を踏まれ、ついでティーポットさんが3030!と申告されました。
やっぱり嬉しいので、がんばりました。
☆ マジな話。色々色々あったので、リハビリの一環なんです。
だから、怒らないでね。
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